ぐるぐる飜譯

しろうと翻訳者の理解と誤解、あるいは無知無理解

O・ヘンリー「運命の衝撃」(THE SHOCKS OF DOOM) 翻訳中(08)

公開版:運命の衝撃  : 11005m

 

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O・ヘンリー「運命の衝撃」(THE SHOCKS OF DOOM) 翻訳中(07) - ぐるぐる飜譯

 

For hours Vallance gazed almost without winking at the stars through the branches of the trees and listened to the sharp slapping of horses' hoofs on the sea of asphalt to the south. His mind was active, but his feelings were dormant. Every emotion seemed to have been eradicated. He felt no regrets, no fears, no pain or discomfort. Even when he thought of the girl, it was as of an inhabitant of one of those remote stars at which he gazed. He remembered the absurd antics of his companion and laughed softly, yet without a feeling of mirth. Soon the daily army of milk wagons made of the city a roaring drum to which they marched. Vallance fell asleep on his comfortless bench.

それから何時間のあいだ、ヴァランスはほとんど瞬きもせずに木々の枝越しに星を見つめ、南のアスファルトの舗道から馬の蹄の音が鋭く響くのを聞いていた。彼の頭脳は明晰だったが、感覚は鈍麻し、すべての感情が根絶やしになったかのようだった。彼はなんの後悔も、恐怖も、苦痛や不快も感じなかった。例の娘のことを考えたときも、そのとき彼が眺めていた遠く離れた星のひとつの住人というくらいにしか感じられなかった。彼は相棒の滑稽な振る舞いを思い返して少し微笑みはしたが、それも愉快に思う感情から出たものではなかった。ほどなく牛乳配達の馬車の集団が町に轟音を響かせて行進していった。ヴァランスは寝心地の悪いベンチで深い眠りについた。

訳者の理解(もしくは無知無理解):最初のほうの「気球が飛び立つときの興奮」云々はどうしたかのような落ち込み具合である。これは躁鬱の鬱ということだろうか。こういったところから、この作品の完成度の低さというか、作り込みの甘さは感じる。

At ten o'clock on the next day the two stood at the door of Lawyer Mead's office in Ann Street.

翌朝の十時に、二人はアン・ストリートにあるミード弁護士の事務所の戸口に立った。

Ide's nerves fluttered worse than ever when the hour approached; and Vallance could not decide to leave him a possible prey to the dangers he dreaded.

時間が近づくにつれ、アイドの神経はひどく怯えるばかりで、ヴァランスとしても、それほどまで恐れている危険の中に彼を残して立ち去ろうということはできなかった。

When they entered the office, Lawyer Mead looked at them wonderingly. He and Vallance were old friends. After his greeting, he turned to Ide, who stood with white face and trembling limbs before the expected crisis.

彼らが事務所に入ると、ミード弁護士は驚いた様子で彼らを見た。彼とヴァランスは旧知の間柄だった。彼は挨拶を済ませ、降り掛かる危機に怯えて顔面蒼白で手足を震わせ立っているアイドに向き直った。

訳者の理解(もしくは無知無理解):このold friendsを「旧友」とする訳もあるが、そこまで親しげな感じではないので、「見知った仲」ということにした。おじの弁護士なわけだし、そもそも相続排除を伝えた本人かもしれない(アイドとの面識はなさそうだし、ヴァランスと同世代の若い弁護士ではあるのかも?)。そんな気まずい相手の事務所まで付き添うヴァランス、いい人なのかなんなのか(紹介状目当てとか、アイドに取り入ろうとかではなかろうと思う)。

 

"I sent a second letter to your address last night, Mr. Ide," he said. "I learned this morning that you were not there to receive it. It will inform you that Mr. Paulding has reconsidered his offer to take you back into favor. He has decided not to do so, and desires you to understand that no change will be made in the relations existing between you and him."

「私は二通目の手紙を昨晩あなたのもとにお出ししたのですよ、アイドさん」彼は言った。「私も今朝知ったのですが、あなたはお留守で受け取っていただけなかったのですね。それは、ポールディング氏があなたに戻っていただく件について再考されたという内容でした。申し出を取り消されることをお決めになり、つまりあなたと彼との間柄は以前の通りで何の変更もないということをご理解いただけるようにというご希望でして」

なんか弁護士が喋ってる感じがしますよお。O・ヘンリー自身、もしかするとかなりわざとらしく書いてるかも。

 

Ide's trembling suddenly ceased. The color came back to his face, and he straightened his back. His jaw went forward half an inch, and a gleam came into his eye. He pushed back his battered hat with one hand, and extended the other, with levelled fingers, toward the lawyer. He took a long breath and then laughed sardonically.

アイドの震えは急に止まった。顔色も戻り、背筋も伸びた。顎を半インチほど前に突き出して、瞳に光が映った。片手で潰れた帽子をかぶり、もう片方の手は指をまっすぐ弁護士に向けて突き出した。彼は深く息を吸い、嘲るように笑った。

"Tell old Paulding he may go to the devil," he said, loudly and clearly, and turned and walked out of the office with a firm and lively step.

「ポールディングのジジイにくたばっちまえと伝えてくれ」彼は大きくはっきり言ってきびすを返し、しっかりとした威勢よい足取りで事務所を出ていった。

go to the devilは慣用表現で「堕落・破滅しろ」、古風な命令形で「うせろ」「くたばれ」とか。

後段の本来のオチより、カタルシスはこっちにある。勘当されたからといって野垂れ死にもしなかった、おそらく本来のふてぶてしいアイドが完全に復活しているわけである。

 

Lawyer Mead turned on his heel to Vallance and smiled.

ミード弁護士はヴァランスの方に向き直ると、微笑んだ。

とくにあっけにとられるでもなくすぐ切り替えて仕事を続けるミード弁護士、強い。「千ドル」のトルマン弁護士とは大違いである。 

"I am glad you came in," he said, genially. "Your uncle wants you to return home at once. He is reconciled to the situation that led to his hasty action, and desires to say that all will be as—"

「おいでいただいてよかった」彼は愛想よく言った。「おじ上は、すぐに戻ってほしいとお望みです。彼が短気を起こされた例の件もご納得で、全てこれまで通りにというご希望を――」

ヴァランスのアイドへの親切とは違って、この猫なで声は取り入る気がありあり、なのかな? 

"Hey, Adams!" cried Lawyer Mead, breaking his sentence, and calling to his clerk. "Bring a glass of water—Mr. Vallance has fainted."

「おい、アダムズ!」ミード弁護士が言い終わらないうちに秘書を叫んで呼んだ。「水を一杯持ってきてくれ――ヴァランスさんが卒倒した」

というわけでこのオチ。アイドをおののかせた300万にのしかかられてヴァランスも失神。このfaintedが死に至るものだったりしたら、それはそれでインパクトのある結末かもしれないが、この単語はそこまで深刻な病状は含んでいないようで、いろいろあって精神が参っていたところ、伝えられた情報にさらなる衝撃を受けて気を失っただけぐらいのようだ。でももともとヴァランスだって背負っていたわけなんだけどなあ。

 

あと、復活アイドは失業者ドウスン(ヴァランス)の心配はしないのかね。まあそういう自己中な人間だったということになるのだろうけど…というあたりも気になった。ていうか「ドウスン」じゃなくて「ドウソン」にしよう。「ドウスンをどうすんだ」みたいなダジャレが頭を回ってしょうがない。

 

というわけで、若干展開に首を傾げるところがあったり、傑作とはいいがたい一作でありました。あくまで「千ドル」と対比させる記事のため…。

 

それにしてもO・ヘンリーだからこんな展開だが、これがサキだったらどうか。目の前の相手が自分の財産を奪う相手と知ったヴァランスがアイドを殺害し、しかし実際はヴァランスの相続排除はテストか何かで、元の鞘に収まったところに刑事がやってくる…みたいな感じになったりするのではないか(今となっては陳腐な展開だが、当時なら)。

 

とりあえず以上。後日解題(予定)