ぐるぐる飜譯

しろうと翻訳者の理解と誤解、あるいは無知無理解

O・ヘンリー「運命の衝撃」(THE SHOCKS OF DOOM) 翻訳中(01)

運命の衝撃(THE SHOCKS OF DOOM

公開版:運命の衝撃  : 11005m

 

原文はここから:

www.gutenberg.org

 

There is an aristocracy of the public parks and even of the vagabonds who use them for their private apartments. Vallance felt rather than knew this, but when he stepped down out of his world into chaos his feet brought him directly to Madison Square.

 

訳:
世の中には上流の公園というものがあり、またそれを自らの住まいにする上流の放浪者というものがいる。ヴァランスはそんなふうに考えた、というよりはそういうふうに感じたものだからがそれまでいた世界からついにこぼれ落ちたとなると、彼の足は自然にマディソン・スクエア公園へと向かうのだった。

 

訳者の理解(もしくは無知無理解):
ヴァランス(主人公の名前らしい。聞き馴染みのない名前なので「ヴァランス青年」とでもしたほうがいいだろうか?)は、公園にはaristocracy=貴族階級=「格」があるという考えを抱き、そして、そうした格の高い公園を選んで、そこをねぐらとする浮浪者にも格が生じると考えているようだ(つまり格の低い二流の公園を選ぶような浮浪者もまた二流ということだろう)。

そんな彼がそれまでの階級から転げ落ちることになったようで(この時点ではどういうことか不明)、そうなると主人公には超有名で「一流」の公園であるマディソン・スクエアに向かう以外の選択肢がない(…つまり貴族的自意識を持った貴族階級的な浮浪者になろうということ)(なんだか現実と向き合えていない感じをひしひしと感じる)。

※「浮浪者」をよい意味でも使われるvagabondとしてあるところもそうかもしれない(バガボンドがベイグラントなど他の「浮浪者」を表す語より貴族趣味な言葉かどうかは自信なし)。

新潮文庫の大久保康雄訳ではaristocracyをそのまま「貴族階級」としていた。確かに「貴族」云々のほうが、零落してなお「格」がどうこうこだわる主人公の滑稽さを伝えるが、「貴族的な浮浪者」はともかく、「貴族的な公園」は少しおかしいような気もするので(「貴族趣味の公園」と間違えられたりもしそう)、「上流」くらいにしておくのがよいのではないかとも思う。

原文はThere is an aristocracy of the public parks and even of the vagabonds who use~なので、「上流の公園~上流の放浪者~」とすると、もとは1つしかない「aristocracy(上流の)」を「公園」と「放浪者」にかぶせるため勝手に増やしてしまうことになるが、「世の中には上流というべき公園があり、それはまたそうしたものを自らの住まいにする放浪者についても同様なのである」みたいにしてしまうと代名詞の迷路が生じるので、ここは書き加えた。「そんなふうに考えていた、というよりはそういうふうに感じていた」という部分の「そんなふうに」と「そういうふうに」というあたりも同様。


大久保訳は「公園と浮浪者に関する主人公の持論」と、「主人公がマディソンスクエアに向かった」ことが若干繋がりにくい文章になっているような気もするので、もう少し直接的につなげた(つもり)(ただしその説明は後にもある)。but whenbutは逆接の用法ではないだろうから( cf. https://japan.cnet.com/article/35004084/ )、「ついに」というwhenの強調にした。当初訳者は「マディソン・スクエアは上流の公園」と思い込んで訳したが、よくよく考えると主人公はあまりこの公園を評価していないフシがあるように感じられる。「本来ならあくまでも上流の公園を追求するところだが、結局手近で済ませた」というニュアンスなのかも…ということで修正。

 

なおMadison Squareは説明不要な語句とは思うが、日本ではそこまで馴染みがあるわけでもないので「公園」を足して「マディソン・スクエア公園」にした。

 

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